文字起こし
音声入力をリアルタイムで文字起こししてくれる機能を調べた。
①live transcribe
これはgoogle提供の無料アプリ。句読点をしっかり出してくれるが、文字起こし精度はイマイチ。どういうわけか、段落をわけてくれる。スマホで無料のアプリで簡単にと思った時にはこれが一番良さそう。コピペもできる。会議通話の文字起こしには録音したものを一回聴かせる必要がある。音声変換の履歴は最長で、3日間保存できる。一回アプリを閉じても前回中断したところから表示することができる。
続きを読むエネルギーと波動をよりふかく理解し、それらが分子の構造や有機体のバランスといかに相互作用するかを探求する医学の一分野は「波動医学」とよばれ、じよじよに進歩してきでいる。波動医学は真の意味でアインシュタイン的医学であるといえる。
高度に象徴的なレベルでいえば、「あらゆる断片が全体を含んでいる」というホログラフィーの原理は、すべての生物の細胞構造にみることができる。細胞生物学の科学的発見は、人体のどの細胞内にも原型となるDNAの青写真が含まれていて、それだけの情報があれば完全な人体を一からつくりだせることを立証してきた。
それを実現したのが生きた細胞のクローニング技術である。クローニング技術はさまざまなな生命形態の複製をつくるために利用されている。そこでは受精卵のDNA物質が除去され、たとえば成熟したカエルの腸細胞のDNAと交換される。それぞれの体細胞内における指令には、他のどの細胞ともおなじ一群の情報が含まれているので、有性生殖なしにまったくおなじカエルをつくることができるのだ。いわば「ハイテク処女懐胎」である。遺伝学的青写真のもつ潜在力は、受精卵のような適当な保護的環境が存在してはじめて発現する。すべての細胞が完全な人体を複製するのにじゅうぶんな情報をもっているという事実には、すべての断片が全体の情報をもっているというホログラフィー原理が反映している。ホログラフィー原理はまた、人体の物理化学的構造に関与している生体エネルギー場の理解にも役立つ。
科学は、生体の生長・発達・修復の理解とともにおおきく進歩してきた。その理解の大半は、細胞核内の遺伝コードの解読という高度な技術によるものである。核はあきらかに、細胞内および細胞聞の複雑なプロセスおよび相互作用をコントロールする中枢である。DNAを含んでいる細胞核内の染色体をしらべることによって、われわれは細胞の複製・生長、そして原始的な胎生期の細胞から特定の機能をもった特殊な細胞への分化の過程をよりくわしく理解することができた。しかし、われわれのDNAにかんする知識は、分化した胎児の細胞がいかにしてその特殊な機能を発現するのに適した空間上の場所へたどりつくかを説明するにはまだ不適切なものである。
(中略)
ホログラフィックな「エネルギー身体」の存在を支持する最初の証拠は、一九四〇年代に活躍したエール大学の神経解剖学者、ハロルド・サクストン・バーの研究である。バーは生きている動植物の周囲に存在するエネルギー場の形態について研究をしていた。そのなかに、サンショウウオのからだをとりまく電場の形態についての研究がある。かれはサンショウウオの周囲に、そのからだとほぼおなじかたちをした電場が存在することをみいだした。しかもその電場が、脳と脊髄をとおる一本の「電気的な軸」をもっていることを発見したのである。
その電気的な軸が発生のどの段階で生じるのかをこまかくしらべようとしたバーは、サンショウウオの発生初期から電場の形態の変化を記録しはじめた。そして、その電場がすでに未受精卵の時期に生じていることを発見した。この発見は、その当時の生物学や遺伝学の正統的理論とは矛盾するものだった。
(中略)
多くの形而上的な文献をひもとくと、生体をつつみ貫いているそのエネルギー場が「エーテル体」として言及されていることがわかる。エーテル体は、人間の最終的な表現形態を決定している数多くの不可視の身体のひとつであるとされている。エーテル体とはおそらく、ホログラムと同様な、エネルギーの干渉パターンのひとつであるにちがいない。ホログラフィー的モデルは、将来においてもさらにひろく応用されていくだろう。ひょっとするとこの宇宙そのものが巨大な「宇宙ホログラム」なのかもしれないのだ。すなわち、宇宙はとてつもなく巨大なエネルギーの干渉パターンかもしれないのである。そのホログラフィックな性質によって、宇宙のあらゆる断片は全体の情報を保持しているばかりか、全体の情報に寄与してもいるのである。宇宙的ホログラムは時間の流れのなかで凍りついた静止写真というより、一瞬一瞬ダイナミックに変動しているホログラフィックなビデオテープにちかいものであろう。では、そのようなホログラフィックな宇宙観を支持する理論的根拠について吟味してみよう。
錬金術などの秘教には、「下なるものは上なるものの如し」という成句がある。この成句は、「微視的なレベルでみられることは巨視的なレベルでもみられる(反映されている)」という意味に解釈されているが、さらに掘りさげて解釈すると、われわれが自分自身(下)をよりふかく理解すれば、まわりの宇宙(上)もよりふかく理解できるようになるということになる。
たとえば、単一細胞の視点からこの世界をしらべてみよう。細胞核内のDNAには、細胞の活動における構造的・生理学的な表現形が暗号化されている。しかしDNAはただの情報マニュアルにすぎず、細胞という体制のなかでその指令を実行する役者が存在しなくてはならない。細胞というシナリオを演じる役者とは、酵素、すなわちタンパク質のからだをもち、毎日たくさんの生化学的な仕事をしている存在のことである。酵素は化学物質の特定の反応の触媒となって分子のくみたてをおこない、あらたな構造物をつくりだし、電気化学反応の火花を散らして細胞エンジンを駆動させ、全システムの効率的な活動を維持する役目をになっている。酵素をつくるタンパク質自体は、ひもにとおしたピーズのようなアミノ酸のつらなりでできている。アミノ酸表面の多様なプラスとマイナスの電荷によって、引力と斥力がはたらき、ビーズ状に列をなしたアミノ酸は「自動組立」によって機能的な立体構造をとるようになる。その構造の中心部分は巨大分子の「活性部位」(または作用部位とよばれ、化学反応の触媒にかかわる部位である。DNA分子にはさまざまな「色のついた」アミノ酸の配列が、それぞれのタンパク質の種類におうじて遺伝的な構造の記憶として暗号化されている。
さてそうした分子は、さらに小さな原子という粒子の集まりであることがわかっている。西洋の科学技術が「原子とはなにか」という間いに答えられるようになるまでに進歩したのは、十九世紀になってからのことであった。原子がさらに電子、中性子、陽子にまで分割可能であることは現在では常識になっている。すべての物質は、たとえば電子のような素粒子の無限に異なるくみあわせからなっている。しかしじつのところ、電子とはいったいなんであろうか?
その疑問はほぼ一世紀のあいだ、活発な議論をまきおこしてきた。この基本的な疑問に答えることは、原子の構造や宇宙の構造そのものを理解するうえでたいへん重要である。それはわれわれの物理学、および「相補性」という独向な概念の理解が進む過程における、ひとつの転換点になるだろう。相補性とは、この世界が白と黒とからできているのではなくて、さまざまな濃淡の灰色からなっているとするかんがえかたである。この相補性というかんがえかたは、一見たがいに異なったもの、あるいはまったく正反対のふたつのものがおなじ物体のなかに同時に存在し、しかも平和的に共存することを許容するものだ。相補性原理がもっとも効果的に応用されたのは電子の性質の記述においてだが、それはまたよりおおきな混乱をも同時にひきおこすことになった。
二十世紀初頭におこなわれたある実験で、科学者は電子が小さなビリヤードボールのようにふるまうことを記録している。電子は衝突のさいに、衝突するビリヤードの玉とおなじく、はじきあう。これはニュートン物理学の機械論的な思考からも予測可能な結果である。しかし混乱は、べつの実験で、光波のようにふるまう電子の特性が示されたときにはじまった。
電子の奇妙な波動的ふるまいを示したこの有名な例は、「二重スリット実験」とよばれるものである。その実験では、たったひとつの電子が同時にふたつのスリットをくぐりぬけるらしいということが示された。そのような離れわざは、ビリヤードの玉ではとうていかんがえられないことである。しかしまたべつの実験によると、ふたつの電子線をたがいにぶつかるように発射すれば、電子は小さなビリヤードの玉のようにたがいにはじきあう。だが電子が粒子ではなく波動であれば、ふたつのスリットを同時に通過することができる。それでは波動と粒子の両方の性質をもっているようにみえる電子とはいったいなんなのだろうか?電子は粒子と波動の両方の性質を示す。たがいに相いれない、エネルギーと物質という特性が電子のなかで共存しているのだ。これこそがまさに相補性原理の真髄である。電子は純粋なエネルギーでもなければ純粋な物質でもなく、両者の要素をもちあわせている。この矛盾を、電子を「波動の束」とみなすことによって解決しようとしている物理
学者もいる。電子のような素粒子にみられる「波動と粒子の二重性」はエネルギーと物質の関係を反映しており、これは、二十世紀初期にあらわれ、有名なE=mc^2の公式とともによく知られるアルパート・アインシユタインによってあきらかにされた。物質とエネルギーは変換可能である。これは、物質がエネルギーに変換可能であるばかりか、エネルギーもまた物質に変換可能であるということを意味している。実験室で人為的にその偉業をなしとげた物理学者はまだいないが、その現象は実験用核反応施設の霧箱内で観察され、写真にも撮られている。
宇宙線、すなわち高エネルギーをもった光子は、重い原子核のちかくを通過するとき、自然に粒子と反粒子のペアにわかれ、フィルム上にその痕跡をとどめる。これは文字どおり、エネルギーが物質に変換している証拠である。その反対に、物質と反物質が衝突すると、膨大なエネルギーを放出しながら消滅していくことがわかっている。
光と物質の相互変換性はじつに奇妙な現象であり、いってみれば、一度リンゴがオレンジに変わり、ふたたびリンゴにもどるようなものである。だが、われわれが目撃しているのはほんとうに、まったく異なるふたつの存在の変換なのであろうか(たとえば固体の氷が昇華して水蒸気になり、液体の凝縮した蒸気が凍って氷にもどるというように)。ある種の根源的、普遍的な実質の、「状態の変化」を目撃しているにすぎないという可能性はないのだろうか?この解釈は、電子のような粒子波動の二重性の概念にあたらしい「光」を投げかけてくれる。
高エネルギーの光子がふたつの粒子にわかれるという例を、再度吟味してみよう。エネルギーが物質に変換する瞬間、光子(光すなわち電磁エネルギーの量子)は粒子になろうとして減速をはじめる。その過程で、光子はあるていど(たとえば質量のような)固体の性質を獲得するが、まだ波動的な特性ものこしている。その波動的な特性は、たとえば電子顕微鏡のように、電子線が光線としてあつかわれるようなある種の実験以外ではかくれていて顕在化することはない。かんたんにいえば、光の束は、減速して凍りついてしまっているのである。その凍りついた一粒の光子は微小なエネルギーの干渉パターンともみなせるし、極小空間をしめる微視的なエネルギー場であるともいえる。このような素粒子物理学の世界にわけいるとき、われわれは、固体という巨視的な幻影が溶け去っていく姿を目のあたりにする。さらにくわえて、原子はほとんどからっぽの空間からできているという事実を認識しなければならない。なにもないその空間を埋めているのは、まさに凍結した光の束なのである。
微小宇宙のレベルでかんがえれば、すべての物質は凍結した光なのである!
物質は高度に複雑化し、無限に調和したエネルギー場でできている。そのくみあわせは、物理学が解きあかそうとしてきたさまざまな「自然の法則」によって支配されている。その理論モデルの説明には、的確にも「場のなかの場」ということばがつかわれてきた。そのかんがえかたを生体に応用すれば、物質的身体の細胞質には、「エーテル体」という、構造を決定する生体エネルギー場と相互に浸透しあう、複雑な「エネルギー干渉パターン」をみることができよう。
「特殊なエネルギー”場”としての物質」という理解は思想の革命であり、この本の中心的テーマであり、以下の議論の土台となっているものである。それはまた、従来の「ニュートン」医学的アプローチから、物質にかんするより深い理解をもって人間の病気に接する、筆者がよぶところの癒しの「アインシュタイン的」パラダイムへの転換の出発点でもある。波動医学は、癒しのアインシユタイン的パラダイムにもとづいた体系的なアプローチである。波動医学とは、物質的身体の背後に存在し、その機能的表現に寄与している、根源的な微細エネルギー場に直接はたらきかけようとする試みである。ニュートン・モデル的な薬物動態学的アプローチが、主として酵素やレセプターのような分子の相互作用をあつかうのにたいして、医師はこのあたらしいエネルギー・モデルによって、より根源的で微細なエネルギーレベルの治癒系を認識することができるようになるだろう。
膀胱に原因が不明の 炎症がおこり、それによって尿が近い、膀胱や尿道に違和感や痛みがおこる、などのつらい症状がでる病気です。
病気のタイプからハンナ型と非ハンナ型に分かれます。
ハンナ型では、膀胱の内視鏡でハンナ病変と呼ばれる特有の異常がみられます。
難病に指定されているのはこのハンナ型で、その中でも特に症状が悪い方です。
など、生活の中で、
等々で人によって症状の出方が違います。
これらの治療がありますが、症状が改善しない方も多くいるため難病指定されている病気です。
当院の患者様が間質性膀胱炎の方がいらっしゃっていて長野式で鍼灸治療をしていますが、
など、明確な症状改善が見られています
過活動膀胱や、高齢のための夜間頻尿なども排尿回数を減らすことに多く成功しております。

症例① 女性、65歳、農業
〔主訴〕頻尿、排尿不快感。
〔随伴症状〕足腰の冷え、慢性気管支炎。
〔現病歴〕毎年田植えの時期になると頻尿、排尿後の不快感があり田んぼに入ると増悪する。
〔所見〕脉状は「滑」。【魚際】【行間】【崑崙(】【中極】【大赫】に圧痛があり慢性扁桃炎によるアレルギー性膀胱炎と診られる。
〔処置〕
①扁桃処置。
②慢性気管支炎に対して「C7棘状突起を囲む上下左右四点」と【支溝】に鍼と灸。
③膀胱炎の処置として【至陰】【通谷】【蠡溝】【曲泉】に鍼と灸。
④【中極】に皮内鍼の保定。
〔経過〕遠隔地の為、専ら施灸による治療で約三ヶ月、その間来院すること4回の鍼治療で全症状消失。
〔転帰〕五年来、季節毎に発症していた症状も今回の治療で消失し、次の年は発症せず完全に治癒したものと認める。
〔考察〕この様なアレルギー性膀胱炎は毎年同じ季節に発症するので判別しやすい。従って原病巣となりやすい扁桃の免疫力強化が何よりも重要であると同時に、罹患しやすい膀胱粘膜に対してその強化を目的に【蠡溝】の多社灸(31壮) が有効。また膀胱に起凝りゃすい起炎菌による炎症を消す為に【至陰】【通谷】の施灸も重要な治療点である。尚、下腹部膀胱の異和感に対しては【中極】の皮内鍼が著効を奏する。
〔補足〕一度治癒したものであるが、又その季節が来ると体調が低下している場合は再発する恐れがあるので、その季節前一ヶ月位から施灸することを指示しておいた。この様に反復して発症する膀胱炎は、発症する時期が大体決っているので、発症する前から予防として施灸をする心得を持つ様に指導しなければならない。
症例② 女性、61才、農業。
〔主訴〕頻尿、残尿感。
〔現病歴〕1年前より発症し、泌尿器科で膀胱炎と診断され、服薬加療するが効果がなく来院する。
〔所見〕【魚際】【中極】【崑崙】【蠡溝】に圧痛著明。脉状は「細・沈・遅」で病状が長びいていることを現わしている。これは扁桃の免疫力低下により、毒素がリンパ行性あるいは血行性に炎症を遷延化したものと考えられ、慢性扁桃炎による二次感染症としての慢性膀胱炎と診断される。
〔処置〕
①扁桃処置。
②腎機能を活性化する為に【復溜】、膀胱の消炎を目的に【蠡溝】、扁桃の活性化を目的に【支溝】に鍼と灸をする。
③【中極】に皮内鍼の保定。
〔経過〕第1回目の処置から施灸をし、九日目には全症状消失したが、不安感があるので施灸を継続しているという。田植えの時期になると【復溜】【蠡溝】の経穴が水につかるので、【曲泉】に変更して、今も尚予防灸として施灸を続行し発症はみられない。
〔転帰〕治癒。
〔考察〕薬剤に対する不信感が灸に対する信頼感に変ったことが、むしろ治癒につながったものと思われる。一年間も通院しながら何故治らなかったのか原因を挙げれば、
①原病巣として考えられる扁桃処置の不備。
③ウイルスに適合しない抗性物質の投与。
③膀胱そのものの循環障害、粘膜の抗菌性低下。
等である。また【曲泉】の多壮灸も膀胱の炎症を消失するのに有効。
この症例は慢性膀胱炎ですが、間質性膀胱炎も似た配穴で治癒、症状改善することができます。
膀胱炎の場合、菌が発見できれば抗生剤を飲むことで治癒に至りますが、菌が発見できず抗生剤以外の薬飲んでも治らず症状が長く続いてしまうというケースがあります。
膀胱炎をよく繰り返す、症状が長く続いてしまう、ある時期になると膀胱炎になるなどの悩みがある方は是非、鍼灸治療をオススメします。
鍼灸の治療法には様々な流派、治療法がありますが、当院の鍼灸の治療法は長野式kiikostyleです。
そこで今回は長野式についてご紹介したいと思います。
故・長野 潔先生が創始した「長野式治療」は、西洋医学の知見、東洋医学の脈診・腹診などの手技を用いて、病気を起こしている要因を探り、病人をまるごと診るという特徴をもっています。
臨床における“治すこと” に主眼をおいた東西折衷の治療法で、即効性、再現性があるため、日本をはじめ、海外でも多く取り入れられています。
1925年大分県出身。1948年大分県立病院理学療法室勤務。1952年東京教育大学に学んだ後、大分県立盲学校理療専攻科にて教鞭をとる。
1957年鍼灸院を開院。その後、大分県鍼灸師会学術部長、同鍼灸・柔整等試験委員、同審議委員等を歴任。
1978年中国瀋陽市、北京、上海の利用事情を視察。
1979年日本赤十字社金色有功賞受賞。
1979年大分市より優良技能賞受賞。
1988年厚生大臣賞受賞。
1989年日本赤十字社社長賞授賞。
2001年6月逝去。
この本が長野式での、バイブルとなっていて長野先生はこの本以外に医道の日本という雑誌に沢山治療関係の記事を投稿していました。
これを読むだけでも鍼灸の可能性をたくさん感じることができます。今後、抜粋を当ブログで載せていけたらと思っています
Kiiko Style治療法とは、長野潔先生が脈診により、30万症例から確立させた長野式を、松本岐子先生によって我々にもできる、腹診に形を変え発展させた治療法です。
『素問』『霊枢』『難経』『類経』などの古典や、発生学などさまざまな分野も治療に取り入れ、展開しています。
現代医学の病態生理学の発想と、経穴に対する古典的な発想とを結びつけ、システム化した画期的な治療法です。
1980年 花田学園日本鍼灸理療専門学校卒業。卒後渡米。
ニュージャージー州イースタン学校、
ニューヨーク州トライステート鍼灸大学、
マサチューセッツ州アキュメット、
インテグレート、ストラクチャル、
オステオパシー大学、
ニューイングランド鍼灸学校、
ハーバードメディカルスクール、で教鞭を取る
アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、日本など12ヵ国でセミナーを行う。
Kiiko Style of Acupunctureの創始者である松本岐子は、鍼治療と中国古典文書の解釈に関する学術的な研究で国際的に知られている。また、鍼灸の著書を数冊出版し、日本では、雑誌「医道の日本」に定期的に記事を掲載。
松本岐子は、日本の鍼灸師の中でも特に重要な人物の仕事を統合する能力に長けていることで知られている。中でも長野潔、河合吉弘、間中喜雄など、日本の重要な鍼灸師の治療法を「KMS」という臨床的に効果のある一貫したスタイルに統合した。
欧・米・豪・アルゼンチン・日本など、12カ国でセミナーも行う。
2000年 「Tri-state college of Acupuncture」修士号を取得。
2001年からはハーバードメディカルスクール卒業の医師への卒後教育(鍼灸)の講師としても活躍
2002年 『医道の日本』社より‘間中賞’受賞
現在、アメリカ・ニュージャージー州・ボストンの自宅治療院にて鍼灸を行う
以上が長野式、長野潔先生と、松本岐子先生のご紹介になります。
あらゆる物質がエネルギーの諸形態であるということを認識さえすれば、人間を、ダイナミックなエネルギー系として理解するのはたやすい。
アルバート・アインシユタインは有名なE=mc^2という方程式をもちいて、「物質」と「エネルギー」は同一の普遍的実体が二元的に表現されたものであることを-証明した。
その普遍的実体とは、われわれすべてをかたちづくっている根源的なエネルギー、もしくは「波動」のことである。
だからこそ物質の基本的な波動またはエネルギーレベルを調整することによってからだを癒そうとする「波動医学」という手法もかんがえられる。
ただし、こうしたアインシユタイン的な視点は、物理学者のあいだではしだいに受けいれられるようになってはきたものの、いまだに医師の人間観や疾病観に影響をあたえるまでにはいたっていない。
現代医学の思想基盤であるニュートン的モデルは、人間の生理・心理学的な活動を、脳とからだという構造的なハードウェアに依存して成り立つものだとかんがえる。
たとえば心臓は、酸素と栄養の豊富な血液を脳と全身の臓器におくるための機械的なポンプである。
医師は心臓の機能についてはじゅうぶんに理解できているとかんがえているから、だめになった心臓にとってかわる機械を発明しようとする。
また医師の多くは、腎臓の主要機能は自動液過と物質交換にあるとかんがえている。
そこで、透析装置を開発し、不純物や有害物質の液過という腎機能を機械でそっくりおきかえてしまう。
医療技術の進歩は医師にさまざまなパーツを供与し、臓器や血管を交換することが可能になったが、多くの疾患をいかに治し、あるいは予防するかといった、より重要な問題についての知識は、残念ながらまだじゅうぶんとはいえない。
人体機械論にもとづいた最初のニュートン医学的アプローチは、外科手術である。
初期の外科医たちは、人体は複雑な上下水道網のようなものであるという基本的前提のもとに手術をおこなっていた。
現在の外科医も、「病変」部分をとりのぞき、システムをふたたび正しく機能するようにつなげ直すのが仕事である以上、高度に洗練された「生物配管工」だとみなすこともできる。
手術より後に進歩した薬物治療も、くすりという道具をつかつて故障したからだを「修理」するという点ではかわりがない。
かんがえかたは多少ちがっていても、人体を複雑な生物機械としてみている以上、やはりどちらもニュートン・モデル的なのである。
手術でメスをつかうかわりに、内科医は標的となる組織に薬物という魔法の弾丸を打ちこむ。
薬物は医学的な必要におうじて、正常な細胞を保護・強化し、異常をきたしている細胞を死滅させるためにつかわれる。
分子生物学が進歩したおかげで、よりいっそうの効果をもちながらも毒性はすくないといわれる魔法の弾丸が、よりこまかい特殊な要求にあわせて合成されるようになってきた。
薬物療法も外科手術も病気の診断・治療に飛躍的な進歩をもたらしたが、そのいずれも、人体は各臓器、化学物質、酵素、細胞膜レセプターなどの部品からなる複雑な機械であるという、ニュートン・モデル的人体観にもとづいていることにはかわりがないのである。
ニュートン・モデル的な生命観は、じっさいにはリアリティの近似的な像にすぎない。
薬物療法や外科手術が完全とはいえないのは、そのどちらも、生物機械に生命をあたえ、その活動の源になっている「生命力」というものの存在を無視しているからである。
機械のばあい、全体の機能は部分の総和として予測できるという原則が成り立つ。
ところが人聞は機械とは異なり、膨大な化合物の総和以上のものである。
あらゆる生き物は、微細な生命力に依存することで生かされており、生命力とは、八刀子からなる独得の規則的配列を介して作用する相乗効果の源となるものである。
その相乗効果があるからこそ、「生きた」全体は部分の集まり以上のものになりうるのである。
生命力はつねに生命体の秩序を生みだし、細胞レベルでの表現形をたえず更新しつづけている。
死に臨み、生命力がからだをはなれてしまうと、生理機能はしだいに失われ、ついにはまったく秩序のない化学物質のかたまりになってしまう。
それが生物と無生物、人間と機械とを区別する原理のひとつである。
・・・(中略
現在、科学が生命力というものをあっかいきれないことには理由がある。
それははるかむかしにおこった、東洋と西洋の思想体系の対立がひとつの契機となっている。
東西の世界観の相違には、じつは何千年もまえに生じた「宗教と科学の分裂」がいまだにその痕跡をのこしているのである。
科学者が人体のしくみをニュートン的モデルで説明しようとする行為の背景には、人体の機能を神の領域からひきずりおろし、人間が理解し、操作できる機械論的な領域にうっそうとする態度が反映している。
人体を機械論的に理解しようとしているうちに、人間を生かしつづけ、あるいは病気や死に追いやる不可思議な力を宗教的に解明しようとする行為には関心を示さなくなり、機械論のさらなる発展へとむかつていった。
・・・(中略
ところが現在、「エネルギーとしての物質」という革命的な視点から人間存在の機能を理解しようとしているあたらしい医師や治療家が頭角をあらわしてきた。
精神的/霊的にめざめた科学者たちは、たんにわれわれ自身を理解するだけではなく、自然に内在するしくみ宇宙の神秘を理解するための手がかりとして、まず人体のしくみそのものを学ほうとかんがえている。
「人間はエネルギー的存在である」という事実に・気づくとき、健康と病気についてのあたらしい理解が示されるようになる。
このあたらしいアインシユタイン的な視点は、未来の医師たちに独自の病因論のアイデアを提供するばかりか、より効果的な治療法をも提供することになるだろう。
薬物や手術という従来の方法のかわりに、波動医学では、治療そのものに純粋な「エネルギー」がつかわれる。
波動医学理論の支柱になっているのは、分子の集合体だとかんがえられていた肉体が、じつは「エネルギー場が織りなす複雑なネットワーク」であったという理解である。
すなわち、物質や細胞という枠組みとしてあらわれているそのエネルギー・ネットワークは、生命力とからだとの調整をおこなう「微細な」エネルギー系によって組織され、維持されている。
また、物理的な身体内部の細胞構造だけではなく、電気生理学的機能や内分泌機能も、階層構造をもったそれぞれの「微細エネルギー系」によって調節されている。
そもそも健康状態の変化そのものが、そのような微細レベルから生じるものなのである。
その独自のエネルギー系は栄養状態や環境因子のみならず、感情や精神的霊的なバランスの度合からもおおきく影響を受けている。
逆にこの微細なエネルギー系も、細胞の生長パターンによい影響をあたえたり、わるい影響をおよほしたりしている。
異常な細胞のかたまりを物理的に修復したり除去したりすれば病気はすべて治せるというかんがえかたによって、現代の医学はあやまった方向にみちびかれてしまった。
医師は、まるでハイテク装備の配管工がつまった排水管を修理するように、薬物や手術で粥状硬化症をおこした動脈を再開通させようとする。
医師は薬物によって、コレステロールが沈着した部位の血流量を増加させようと試み、それが無効だったばあいには、バルーンをつかつて血管の内腔を拡張し、さらにはレーザーで血流障害の原因である堆積物をこわそうとする。
つまりかけた古い動脈のバイパスとしてべつの血管を縫着する方法も最近ではふつうのことになった。
だが、そうした再発のおそれがある病態を治療するさいには、「応急修理」的な物理的解決法ではなく、細胞の障害発現のもとになっている「エネルギー場のパターン化現象」そのものを調整することが重要なのである。
医師はあまり口にしたがらないが、人体の生理学にはまだほとんど解明されていない領域がある。
「霊」の領域、および「肉体と霊との関係」がそれだ。スピリチュアルな次元はあらゆる生命のエネルギー的な基盤である。
霊的エネルギーが、からだという枠組みを活かしているからである。
物質的身体と霊的かつ微細な力との目にみえないつながりにこそ、物質とエネルギーの内的関係を解きあかす鍵があるのだ。
科学者が物質とエネルギーの真の関係を理解しはじめたとき、科学者にとっての神と人との関係も一歩、真の理解にちかづくことになる。
人類にこのあたらしい理解のレベルをもたらすのが波動医学の役割である。
波動医学は、生命の物質的表現をみちびいているエネルギーパターンにはたらきかけることによって、病気を癒し、人間の意識変革をもたらす。
われわれはいつの日か、意識そのものがひとつのエネルギーであり、それが肉体の細胞レベルにおける変化に不可欠のかかわりをもっていることに気づくだろう。
ようするに、意識は健康状態に刻々と変化をあたえているのである。
未来科学としての波動医学には、「いつも健康な人がいるいっぽうで、つねに病気を患っている人がいるのはなぜなのか」という疑問にたいする解答のヒントも含まれている。