バイブレーショナル・メディスン抜粋4
「上なるものは下なるものの如し」ー自然界におけるホログラフィー原理
高度に象徴的なレベルでいえば、「あらゆる断片が全体を含んでいる」というホログラフィーの原理は、すべての生物の細胞構造にみることができる。細胞生物学の科学的発見は、人体のどの細胞内にも原型となるDNAの青写真が含まれていて、それだけの情報があれば完全な人体を一からつくりだせることを立証してきた。
それを実現したのが生きた細胞のクローニング技術である。クローニング技術はさまざまなな生命形態の複製をつくるために利用されている。そこでは受精卵のDNA物質が除去され、たとえば成熟したカエルの腸細胞のDNAと交換される。それぞれの体細胞内における指令には、他のどの細胞ともおなじ一群の情報が含まれているので、有性生殖なしにまったくおなじカエルをつくることができるのだ。いわば「ハイテク処女懐胎」である。遺伝学的青写真のもつ潜在力は、受精卵のような適当な保護的環境が存在してはじめて発現する。すべての細胞が完全な人体を複製するのにじゅうぶんな情報をもっているという事実には、すべての断片が全体の情報をもっているというホログラフィー原理が反映している。ホログラフィー原理はまた、人体の物理化学的構造に関与している生体エネルギー場の理解にも役立つ。
科学は、生体の生長・発達・修復の理解とともにおおきく進歩してきた。その理解の大半は、細胞核内の遺伝コードの解読という高度な技術によるものである。核はあきらかに、細胞内および細胞聞の複雑なプロセスおよび相互作用をコントロールする中枢である。DNAを含んでいる細胞核内の染色体をしらべることによって、われわれは細胞の複製・生長、そして原始的な胎生期の細胞から特定の機能をもった特殊な細胞への分化の過程をよりくわしく理解することができた。しかし、われわれのDNAにかんする知識は、分化した胎児の細胞がいかにしてその特殊な機能を発現するのに適した空間上の場所へたどりつくかを説明するにはまだ不適切なものである。
(中略)
エーテル体の科学的証拠
ホログラフィックな「エネルギー身体」の存在を支持する最初の証拠は、一九四〇年代に活躍したエール大学の神経解剖学者、ハロルド・サクストン・バーの研究である。バーは生きている動植物の周囲に存在するエネルギー場の形態について研究をしていた。そのなかに、サンショウウオのからだをとりまく電場の形態についての研究がある。かれはサンショウウオの周囲に、そのからだとほぼおなじかたちをした電場が存在することをみいだした。しかもその電場が、脳と脊髄をとおる一本の「電気的な軸」をもっていることを発見したのである。
その電気的な軸が発生のどの段階で生じるのかをこまかくしらべようとしたバーは、サンショウウオの発生初期から電場の形態の変化を記録しはじめた。そして、その電場がすでに未受精卵の時期に生じていることを発見した。この発見は、その当時の生物学や遺伝学の正統的理論とは矛盾するものだった。
(中略)
多くの形而上的な文献をひもとくと、生体をつつみ貫いているそのエネルギー場が「エーテル体」として言及されていることがわかる。エーテル体は、人間の最終的な表現形態を決定している数多くの不可視の身体のひとつであるとされている。エーテル体とはおそらく、ホログラムと同様な、エネルギーの干渉パターンのひとつであるにちがいない。ホログラフィー的モデルは、将来においてもさらにひろく応用されていくだろう。ひょっとするとこの宇宙そのものが巨大な「宇宙ホログラム」なのかもしれないのだ。すなわち、宇宙はとてつもなく巨大なエネルギーの干渉パターンかもしれないのである。そのホログラフィックな性質によって、宇宙のあらゆる断片は全体の情報を保持しているばかりか、全体の情報に寄与してもいるのである。宇宙的ホログラムは時間の流れのなかで凍りついた静止写真というより、一瞬一瞬ダイナミックに変動しているホログラフィックなビデオテープにちかいものであろう。では、そのようなホログラフィックな宇宙観を支持する理論的根拠について吟味してみよう。
素粒子物理学からの知見ー凍結した光としての物質、その医学的意味
錬金術などの秘教には、「下なるものは上なるものの如し」という成句がある。この成句は、「微視的なレベルでみられることは巨視的なレベルでもみられる(反映されている)」という意味に解釈されているが、さらに掘りさげて解釈すると、われわれが自分自身(下)をよりふかく理解すれば、まわりの宇宙(上)もよりふかく理解できるようになるということになる。
たとえば、単一細胞の視点からこの世界をしらべてみよう。細胞核内のDNAには、細胞の活動における構造的・生理学的な表現形が暗号化されている。しかしDNAはただの情報マニュアルにすぎず、細胞という体制のなかでその指令を実行する役者が存在しなくてはならない。細胞というシナリオを演じる役者とは、酵素、すなわちタンパク質のからだをもち、毎日たくさんの生化学的な仕事をしている存在のことである。酵素は化学物質の特定の反応の触媒となって分子のくみたてをおこない、あらたな構造物をつくりだし、電気化学反応の火花を散らして細胞エンジンを駆動させ、全システムの効率的な活動を維持する役目をになっている。酵素をつくるタンパク質自体は、ひもにとおしたピーズのようなアミノ酸のつらなりでできている。アミノ酸表面の多様なプラスとマイナスの電荷によって、引力と斥力がはたらき、ビーズ状に列をなしたアミノ酸は「自動組立」によって機能的な立体構造をとるようになる。その構造の中心部分は巨大分子の「活性部位」(または作用部位とよばれ、化学反応の触媒にかかわる部位である。DNA分子にはさまざまな「色のついた」アミノ酸の配列が、それぞれのタンパク質の種類におうじて遺伝的な構造の記憶として暗号化されている。
さてそうした分子は、さらに小さな原子という粒子の集まりであることがわかっている。西洋の科学技術が「原子とはなにか」という間いに答えられるようになるまでに進歩したのは、十九世紀になってからのことであった。原子がさらに電子、中性子、陽子にまで分割可能であることは現在では常識になっている。すべての物質は、たとえば電子のような素粒子の無限に異なるくみあわせからなっている。しかしじつのところ、電子とはいったいなんであろうか?
その疑問はほぼ一世紀のあいだ、活発な議論をまきおこしてきた。この基本的な疑問に答えることは、原子の構造や宇宙の構造そのものを理解するうえでたいへん重要である。それはわれわれの物理学、および「相補性」という独向な概念の理解が進む過程における、ひとつの転換点になるだろう。相補性とは、この世界が白と黒とからできているのではなくて、さまざまな濃淡の灰色からなっているとするかんがえかたである。この相補性というかんがえかたは、一見たがいに異なったもの、あるいはまったく正反対のふたつのものがおなじ物体のなかに同時に存在し、しかも平和的に共存することを許容するものだ。相補性原理がもっとも効果的に応用されたのは電子の性質の記述においてだが、それはまたよりおおきな混乱をも同時にひきおこすことになった。
二十世紀初頭におこなわれたある実験で、科学者は電子が小さなビリヤードボールのようにふるまうことを記録している。電子は衝突のさいに、衝突するビリヤードの玉とおなじく、はじきあう。これはニュートン物理学の機械論的な思考からも予測可能な結果である。しかし混乱は、べつの実験で、光波のようにふるまう電子の特性が示されたときにはじまった。
電子の奇妙な波動的ふるまいを示したこの有名な例は、「二重スリット実験」とよばれるものである。その実験では、たったひとつの電子が同時にふたつのスリットをくぐりぬけるらしいということが示された。そのような離れわざは、ビリヤードの玉ではとうていかんがえられないことである。しかしまたべつの実験によると、ふたつの電子線をたがいにぶつかるように発射すれば、電子は小さなビリヤードの玉のようにたがいにはじきあう。だが電子が粒子ではなく波動であれば、ふたつのスリットを同時に通過することができる。それでは波動と粒子の両方の性質をもっているようにみえる電子とはいったいなんなのだろうか?電子は粒子と波動の両方の性質を示す。たがいに相いれない、エネルギーと物質という特性が電子のなかで共存しているのだ。これこそがまさに相補性原理の真髄である。電子は純粋なエネルギーでもなければ純粋な物質でもなく、両者の要素をもちあわせている。この矛盾を、電子を「波動の束」とみなすことによって解決しようとしている物理
学者もいる。電子のような素粒子にみられる「波動と粒子の二重性」はエネルギーと物質の関係を反映しており、これは、二十世紀初期にあらわれ、有名なE=mc^2の公式とともによく知られるアルパート・アインシユタインによってあきらかにされた。物質とエネルギーは変換可能である。これは、物質がエネルギーに変換可能であるばかりか、エネルギーもまた物質に変換可能であるということを意味している。実験室で人為的にその偉業をなしとげた物理学者はまだいないが、その現象は実験用核反応施設の霧箱内で観察され、写真にも撮られている。
宇宙線、すなわち高エネルギーをもった光子は、重い原子核のちかくを通過するとき、自然に粒子と反粒子のペアにわかれ、フィルム上にその痕跡をとどめる。これは文字どおり、エネルギーが物質に変換している証拠である。その反対に、物質と反物質が衝突すると、膨大なエネルギーを放出しながら消滅していくことがわかっている。
光と物質の相互変換性はじつに奇妙な現象であり、いってみれば、一度リンゴがオレンジに変わり、ふたたびリンゴにもどるようなものである。だが、われわれが目撃しているのはほんとうに、まったく異なるふたつの存在の変換なのであろうか(たとえば固体の氷が昇華して水蒸気になり、液体の凝縮した蒸気が凍って氷にもどるというように)。ある種の根源的、普遍的な実質の、「状態の変化」を目撃しているにすぎないという可能性はないのだろうか?この解釈は、電子のような粒子波動の二重性の概念にあたらしい「光」を投げかけてくれる。
高エネルギーの光子がふたつの粒子にわかれるという例を、再度吟味してみよう。エネルギーが物質に変換する瞬間、光子(光すなわち電磁エネルギーの量子)は粒子になろうとして減速をはじめる。その過程で、光子はあるていど(たとえば質量のような)固体の性質を獲得するが、まだ波動的な特性ものこしている。その波動的な特性は、たとえば電子顕微鏡のように、電子線が光線としてあつかわれるようなある種の実験以外ではかくれていて顕在化することはない。かんたんにいえば、光の束は、減速して凍りついてしまっているのである。その凍りついた一粒の光子は微小なエネルギーの干渉パターンともみなせるし、極小空間をしめる微視的なエネルギー場であるともいえる。このような素粒子物理学の世界にわけいるとき、われわれは、固体という巨視的な幻影が溶け去っていく姿を目のあたりにする。さらにくわえて、原子はほとんどからっぽの空間からできているという事実を認識しなければならない。なにもないその空間を埋めているのは、まさに凍結した光の束なのである。
微小宇宙のレベルでかんがえれば、すべての物質は凍結した光なのである!
物質は高度に複雑化し、無限に調和したエネルギー場でできている。そのくみあわせは、物理学が解きあかそうとしてきたさまざまな「自然の法則」によって支配されている。その理論モデルの説明には、的確にも「場のなかの場」ということばがつかわれてきた。そのかんがえかたを生体に応用すれば、物質的身体の細胞質には、「エーテル体」という、構造を決定する生体エネルギー場と相互に浸透しあう、複雑な「エネルギー干渉パターン」をみることができよう。
「特殊なエネルギー”場”としての物質」という理解は思想の革命であり、この本の中心的テーマであり、以下の議論の土台となっているものである。それはまた、従来の「ニュートン」医学的アプローチから、物質にかんするより深い理解をもって人間の病気に接する、筆者がよぶところの癒しの「アインシュタイン的」パラダイムへの転換の出発点でもある。波動医学は、癒しのアインシユタイン的パラダイムにもとづいた体系的なアプローチである。波動医学とは、物質的身体の背後に存在し、その機能的表現に寄与している、根源的な微細エネルギー場に直接はたらきかけようとする試みである。ニュートン・モデル的な薬物動態学的アプローチが、主として酵素やレセプターのような分子の相互作用をあつかうのにたいして、医師はこのあたらしいエネルギー・モデルによって、より根源的で微細なエネルギーレベルの治癒系を認識することができるようになるだろう。
バイブレーショナル・メディスン抜粋3
あらゆる物質がエネルギーの諸形態であるということを認識さえすれば、人間を、ダイナミックなエネルギー系として理解するのはたやすい。
アルバート・アインシユタインは有名なE=mc^2という方程式をもちいて、「物質」と「エネルギー」は同一の普遍的実体が二元的に表現されたものであることを-証明した。
その普遍的実体とは、われわれすべてをかたちづくっている根源的なエネルギー、もしくは「波動」のことである。
だからこそ物質の基本的な波動またはエネルギーレベルを調整することによってからだを癒そうとする「波動医学」という手法もかんがえられる。
ただし、こうしたアインシユタイン的な視点は、物理学者のあいだではしだいに受けいれられるようになってはきたものの、いまだに医師の人間観や疾病観に影響をあたえるまでにはいたっていない。
現代医学の思想基盤であるニュートン的モデルは、人間の生理・心理学的な活動を、脳とからだという構造的なハードウェアに依存して成り立つものだとかんがえる。
たとえば心臓は、酸素と栄養の豊富な血液を脳と全身の臓器におくるための機械的なポンプである。
医師は心臓の機能についてはじゅうぶんに理解できているとかんがえているから、だめになった心臓にとってかわる機械を発明しようとする。
また医師の多くは、腎臓の主要機能は自動液過と物質交換にあるとかんがえている。
そこで、透析装置を開発し、不純物や有害物質の液過という腎機能を機械でそっくりおきかえてしまう。
医療技術の進歩は医師にさまざまなパーツを供与し、臓器や血管を交換することが可能になったが、多くの疾患をいかに治し、あるいは予防するかといった、より重要な問題についての知識は、残念ながらまだじゅうぶんとはいえない。
人体機械論にもとづいた最初のニュートン医学的アプローチは、外科手術である。
初期の外科医たちは、人体は複雑な上下水道網のようなものであるという基本的前提のもとに手術をおこなっていた。
現在の外科医も、「病変」部分をとりのぞき、システムをふたたび正しく機能するようにつなげ直すのが仕事である以上、高度に洗練された「生物配管工」だとみなすこともできる。
手術より後に進歩した薬物治療も、くすりという道具をつかつて故障したからだを「修理」するという点ではかわりがない。
かんがえかたは多少ちがっていても、人体を複雑な生物機械としてみている以上、やはりどちらもニュートン・モデル的なのである。
手術でメスをつかうかわりに、内科医は標的となる組織に薬物という魔法の弾丸を打ちこむ。
薬物は医学的な必要におうじて、正常な細胞を保護・強化し、異常をきたしている細胞を死滅させるためにつかわれる。
分子生物学が進歩したおかげで、よりいっそうの効果をもちながらも毒性はすくないといわれる魔法の弾丸が、よりこまかい特殊な要求にあわせて合成されるようになってきた。
薬物療法も外科手術も病気の診断・治療に飛躍的な進歩をもたらしたが、そのいずれも、人体は各臓器、化学物質、酵素、細胞膜レセプターなどの部品からなる複雑な機械であるという、ニュートン・モデル的人体観にもとづいていることにはかわりがないのである。
ニュートン・モデル的な生命観は、じっさいにはリアリティの近似的な像にすぎない。
薬物療法や外科手術が完全とはいえないのは、そのどちらも、生物機械に生命をあたえ、その活動の源になっている「生命力」というものの存在を無視しているからである。
機械のばあい、全体の機能は部分の総和として予測できるという原則が成り立つ。
ところが人聞は機械とは異なり、膨大な化合物の総和以上のものである。
あらゆる生き物は、微細な生命力に依存することで生かされており、生命力とは、八刀子からなる独得の規則的配列を介して作用する相乗効果の源となるものである。
その相乗効果があるからこそ、「生きた」全体は部分の集まり以上のものになりうるのである。
生命力はつねに生命体の秩序を生みだし、細胞レベルでの表現形をたえず更新しつづけている。
死に臨み、生命力がからだをはなれてしまうと、生理機能はしだいに失われ、ついにはまったく秩序のない化学物質のかたまりになってしまう。
それが生物と無生物、人間と機械とを区別する原理のひとつである。
・・・(中略
現在、科学が生命力というものをあっかいきれないことには理由がある。
それははるかむかしにおこった、東洋と西洋の思想体系の対立がひとつの契機となっている。
東西の世界観の相違には、じつは何千年もまえに生じた「宗教と科学の分裂」がいまだにその痕跡をのこしているのである。
科学者が人体のしくみをニュートン的モデルで説明しようとする行為の背景には、人体の機能を神の領域からひきずりおろし、人間が理解し、操作できる機械論的な領域にうっそうとする態度が反映している。
人体を機械論的に理解しようとしているうちに、人間を生かしつづけ、あるいは病気や死に追いやる不可思議な力を宗教的に解明しようとする行為には関心を示さなくなり、機械論のさらなる発展へとむかつていった。
・・・(中略
ところが現在、「エネルギーとしての物質」という革命的な視点から人間存在の機能を理解しようとしているあたらしい医師や治療家が頭角をあらわしてきた。
精神的/霊的にめざめた科学者たちは、たんにわれわれ自身を理解するだけではなく、自然に内在するしくみ宇宙の神秘を理解するための手がかりとして、まず人体のしくみそのものを学ほうとかんがえている。
「人間はエネルギー的存在である」という事実に・気づくとき、健康と病気についてのあたらしい理解が示されるようになる。
このあたらしいアインシユタイン的な視点は、未来の医師たちに独自の病因論のアイデアを提供するばかりか、より効果的な治療法をも提供することになるだろう。
薬物や手術という従来の方法のかわりに、波動医学では、治療そのものに純粋な「エネルギー」がつかわれる。
波動医学理論の支柱になっているのは、分子の集合体だとかんがえられていた肉体が、じつは「エネルギー場が織りなす複雑なネットワーク」であったという理解である。
すなわち、物質や細胞という枠組みとしてあらわれているそのエネルギー・ネットワークは、生命力とからだとの調整をおこなう「微細な」エネルギー系によって組織され、維持されている。
また、物理的な身体内部の細胞構造だけではなく、電気生理学的機能や内分泌機能も、階層構造をもったそれぞれの「微細エネルギー系」によって調節されている。
そもそも健康状態の変化そのものが、そのような微細レベルから生じるものなのである。
その独自のエネルギー系は栄養状態や環境因子のみならず、感情や精神的霊的なバランスの度合からもおおきく影響を受けている。
逆にこの微細なエネルギー系も、細胞の生長パターンによい影響をあたえたり、わるい影響をおよほしたりしている。
異常な細胞のかたまりを物理的に修復したり除去したりすれば病気はすべて治せるというかんがえかたによって、現代の医学はあやまった方向にみちびかれてしまった。
医師は、まるでハイテク装備の配管工がつまった排水管を修理するように、薬物や手術で粥状硬化症をおこした動脈を再開通させようとする。
医師は薬物によって、コレステロールが沈着した部位の血流量を増加させようと試み、それが無効だったばあいには、バルーンをつかつて血管の内腔を拡張し、さらにはレーザーで血流障害の原因である堆積物をこわそうとする。
つまりかけた古い動脈のバイパスとしてべつの血管を縫着する方法も最近ではふつうのことになった。
だが、そうした再発のおそれがある病態を治療するさいには、「応急修理」的な物理的解決法ではなく、細胞の障害発現のもとになっている「エネルギー場のパターン化現象」そのものを調整することが重要なのである。
医師はあまり口にしたがらないが、人体の生理学にはまだほとんど解明されていない領域がある。
「霊」の領域、および「肉体と霊との関係」がそれだ。スピリチュアルな次元はあらゆる生命のエネルギー的な基盤である。
霊的エネルギーが、からだという枠組みを活かしているからである。
物質的身体と霊的かつ微細な力との目にみえないつながりにこそ、物質とエネルギーの内的関係を解きあかす鍵があるのだ。
科学者が物質とエネルギーの真の関係を理解しはじめたとき、科学者にとっての神と人との関係も一歩、真の理解にちかづくことになる。
人類にこのあたらしい理解のレベルをもたらすのが波動医学の役割である。
波動医学は、生命の物質的表現をみちびいているエネルギーパターンにはたらきかけることによって、病気を癒し、人間の意識変革をもたらす。
われわれはいつの日か、意識そのものがひとつのエネルギーであり、それが肉体の細胞レベルにおける変化に不可欠のかかわりをもっていることに気づくだろう。
ようするに、意識は健康状態に刻々と変化をあたえているのである。
未来科学としての波動医学には、「いつも健康な人がいるいっぽうで、つねに病気を患っている人がいるのはなぜなのか」という疑問にたいする解答のヒントも含まれている。
バイブレーショナル・メディスン抜粋2
本書では、さまざまなヒlリングのメカニズムをあきらかにするための探求がおこなわれている。
本書は、健康と病気にかかわるあたらしい思考体系についての総合的な入門書である。
このあたらしい体系では、人間を「相互作用する多次元的なエネルギー系」という視点から検証している。
本書は、われわれの思考や感情がなぜ生理学的変化をひきおこすのか、さらにハーブ(生薬)や花、水などをもちいた単純な治療法がいかにして強力な治療効果をもたらすのかを理解することを目標としており、そのためにあえて従来の医学のパラダイムをおおきく逸脱して議論を展開している。
「波動医学」という名で知られつつあるこの分野を理解するための私なりのアプローチは、研修医および内科医としての二年間におこなわれた代替療法についての個人的調査にもとづいている。
私は、科学と形而上学のあいだのギャップを、つめることを意識しながら、現在の医学体系を基礎としてそのうえに積みあげることをめざしてきた。
医科大学の学生時代から、私は、有害な副作用をもっ強力な薬物の投与やリスクをともなう外科手術よりも侵襲性のすくない(心身に負担をかけない)治療法があるのではないかという思いをいだいていた。
いうまでもなく、薬物や手術は何千もの医学的ニーズにたいして援助と救済をあたえてきたし、数々の疫病を根絶することにも成功してきた。しかし、残念なことに、現在の医療ではいまだに疹、痛緩和治療しか期待できないような慢性疾患が数多く存在している。もちろん私がふだんおこなっている内科的治療でも、そうした方法にたよっていることは事実である。
できれば、外科的治療や薬物という手段をつかわずに治療が進められればいいとつねづねかんがえている。
そして、低侵襲性、低コスト、低副作用という条件をみたし、かつ患者への治療効果がおおきい診断法および治療法を長年さがしもとめてきた。そうした目標がひとつの背景となって、私は「治癒」の本質について研究しはじめたのである。
私なりの結論をここで吐露させてもらうとすれば、やはり、現在の医学的知識体系を拡張して人間の病気をさらにふかく理解し、診断・治療法を改善するためには、波動医学がひじように重要な鍵をにぎっているといわざるをえない。
これまでの医学研究者たちは、病気の背後にあるメカニズムを探究することには多大なエネルギーをさいてきたが、人々が健康を維持するための条件をあきらかにする研究はつい最近緒についたばかりにすぎない。科学者たちは微視的な分子メカニズムに焦点をあてがちであり、そのことによって、よりおおきな全体像をしばしば見失ってしまっていた。また現代医学の主流は、人間を精綴な生物機械とみなすニュートン的世界観にたえず照準をあわせているため、きわめて狭小なかんがえかたにとらわれてしまっている。
波動医学の思想は、人間が肉体、タンパク質、脂肪、核酸以上のものだという独自の展望をもっている。
分子レベルの基質を組織化して、生命をもち、呼吸し、思考する個人を形成したうえに、さらにそれを維持している活発な「生命力」が存在しなかったら、肉体は無秩序な化学物質の山でしかなかっただろう。この生命力は、全生物に生命をあたえる「霊」の一部である。それはいわゆる「機械のなかの幽霊」であり、二十世紀の科学ではまだ完全に把握されてはいない微細エネルギーの独特な一形態である。この霊的な次元はたしかに人間の本質をあらわす一側面ではあるが、医科大学で教えられることはまずないし、それを理解している医師もほんの一握りである。
しかし、霊的な要因は、健康、病気、人間的な生長の基本的性質を真に理解するためには、どうしても老慮にいれなければならない人間存在の一要素なのである。
医師たちが代替医療の妥当性を受けいれるのがこんなにも困難であることのおもな理由は、かれらが物質的身体のみを人間存在の唯一の次元だとみなしていることにある。
人間の物質/細胞システムが薬剤や外科治療といった大ざっぱな分子レベルの治療法をもちいてもたしかにあるていどの影響を受けるものである以上、ホメオパシーで利用されているような極度の希釈物質の治療効果が通常の医学から誤解され、信用されなかったとしても別におどろくに値しない。
ホメオパシーは、大部分の医学研究者がいまだ理解していないエネルギーレベルで作用するものなのである。
しかし、最近になって、科学者たちもからだを制御している生物分子メカニズムに精神が影響をおよぼしうることをようやくみとめはじめた。
医師たちは長いあいだ、胆嚢が胆汁を産生しているのとおなじように脳が「意識」を発生させているとかんがえてきた。
意識はたんに中枢神経系の活動による副産物でしかないとかんがえられていたのである。
神経生理学者たちは以前から、自由意志と意志決定の中枢が脳のどの部分にあるかをさがしもとめてきた。
かれらは、指令をくだす過程に関与している灰白質の領域を同定することはできるかもしれないが、脳内における真の意識の座をみいだすまでには、まだまだ長くきびしい道のりが待っていることだろう。
複雑な生体コンピュータである脳は、神経系に作動方法を教え、どんな活動をすべきかを教えるプログラマーをやはり必要としている。この脳とからだのバイオメカニズムを利用している意識の実体が、人間の「霊」または「魂」である。われわれが霊的領域とよんでいるものは、脳ゃからだとよばれるコンピュータ・ハードウェアに直接フィードバックしてくる、ひとつながりの高次元エネルギー系の一部である。この高次元エネルギー系、あるいはいわゆる微細エネルギー構造は、現代の科学がまだ理解していないものである。じつは代替療法は、行動様式の発現と細胞の生理を制御している、より高次元のシステムにおける異常を是正することによって、しばしば効果をあげているのである。
経絡系、チャクラおよびナlディ系、エーテル体などの高次元システムは、人間の多次元的な構造の一部をなしており、古代から世界中の治療家集団によって記述されてきたものである。
だが西洋の科学では、それらの存在を人体解剖学で証明することができなかったために、エーテル的構成要素にかんする記述は長いあいだ無視されてきた。
結局のところ、顕微鏡下では、いわゆる経絡なるものが発見できなかったのである。
西洋の科学技術が進歩し、現代になってはじめて、微細エネルギー系の存在や、ようやくその細胞系への生理作用の影響が確認できるような段階に達しはじめた。
私は長年の研究をつうじて、微細エネルギー系というより包括的な人間の解剖学的構造を実証するための科学的証拠をつなぎあわせようとしてきた。
人間の生理の本質と、疾患および健康の原因を理解するという科学者たちの目標は、機能をつかさどる多次元的な枠組みを受けいれることによって、はじめて成功するだろう。
私がここで収集した証拠は多様な学問分野と研究者からえられたものであり、その多くの研究は、超心理学およびホリスティック医学の世界の人にはよく知られているものである。そうした現存する研究成果のうえに、私はさらなる洞窓少乞くわえたつもりである。
多くの代替療法の研究は体制的な医学研究者にはなじみのないものであり、かれらはたとえばサイキック・ヒーリングの治療効果の実証に役立つ証拠など皆無であると信じて疑わない。
たいていの医師が代替療法の研究成果を知る機会がまったくないことの理由のひとつは、波動医学的研究に関連して「キャッチ22」の原則が存在するためである。キャッチ22とは「権威ある医学専門誌には、他の権威ある専門誌の論文を参考文献としてあげられないような内容の論文は掲載することができない」という原則である。
すなわち、とかく問題の多いこの分野の研究者はだれひとりとしてオーソドックスな医学専門誌に論文が採用されることがないので、論文を書きはじめるにしても、引用に値するような信頼のおける参考文献などほとんど手にはいらないのである。
かくして、医学専門誌の権威は科学のドグマ主義という「象牙の塔」のなかで無事に守られる。
この本の最大の目的は、人間の微細エネルギー系に影響をおよぽす治療法が、まさに現代医学の延長線上に存在するということを示すところにある。
物理学におけるニュートン的パラダイムは、アインシユタインが提供したあたらしい視点によって大幅に拡張された。
それと同様に、この本は、私が「アインシユタイン医学」とよんでいる原理が「相互浸透的、相互作用的なエネルギー場」という観点から人聞を理解するために、限定つきのニュートン的な「時計じかけの宇宙」という世界観をいかにして超越していくかを示すことになるだろ
人間の拡張された微細エネルギー構造にかんする証拠として私が収集した文献は、ふたつ以上の学問分野にまたがる学際的研究者からえられており、おもに臨床的観察および基礎実験の結果をあつめたものである。
そのなかには他の研究者によってべつの実験室で追試されたものもあるが、それがなされていないものもある。
ひとつひとつの研究をみていくと、その存在を実証しようとしている現象およびエネルギー系の証拠としては、いささか信頼性が低いとかんがえられるかもしれない。しかし、ちいきな色つきのタイルが集まるとおおきなモザイクになるように、それらを集合的にみたときに、よりおおきな像がみえてくるのである。
それは、人間を「多次元的なエネルギー的存在」とみる、巨視的な視点である。
量子力学と高エネルギー粒子物理学の実験のおかげで、素粒子レベルにおいてはあらゆる物質がエネルギーであることがわかっている。
アインシユタイン医学のとる立場は、ニュートン的な人間生物機械論を、ダイナミックに相互作用するエネルギー系としての人間像に転換していくことである。
もし人間がエネルギー的存在であるなら、エネルギーによって直接の影響を受けることはとうぜんである。
通常の医学の世界でも、エネルギーをもちいた治療を模索する努力ははじまっている。がん治療のための放射線療法、体介、痛治療のための電気療法、骨折の治癒を促進するための電磁気療法などは、医学界におけるあたらしい視点にもとづくささやかな進歩にすぎない。波動医学においても、測定可能な一定量のエネルギーを患者に投与することができる。
しかし、そこで投与されるエネルギーの周波数は、従来の検出器で感知できる範囲をはるかにこえているものである。
信じられないことかもしれないが、こうした高次元エネルギーの存在は、有名なアインシユタインの方程式である何HBべから予測されることなのである。
本書の目的は、11年以上にわたるこれまでの調査結果からみちびかれた私なりの考察を読者の皆さんにおつたえすることにある。
私自身は、あたらしい治療科学を確立して人間の病気をふかく理解するための理論的基盤を必要としているこの分野に、あたらしい理解のヒントをもちこむことができたのではないかと自負している。
本書がこれまでとはちがった方法で健康と病気を検討するための刺激剤となり、あらたにおこりつつある科学的探究に参加する探究者にとってガイドブックのような役割をはたしてくれれば幸いである。
私が願ってやまないのは、一般読者もさまざまな領域の医療関係者も、本書を虚心坦懐に読んでいただきたいということである。
なかには、かなり過激な内容の記述もあるかもしれないし、かならずしもすべての読者が納得できるとはかぎらない部分もあるだろう。
読者諸氏には、本書をオープンかつ批判的態度をもって読みすすめていただき、個々の判断で正しいとおもわれる情報なり知識を吸収していただければありがたい。
あらゆる問題への解答を一冊の本で提供することは不可能である。
もちろん、本書の医学モデルは完全なものではなく、あたらしい実験データによって拡張され、修正を受け、変形する必要がでてくる可能性があることはいうまでもない。
そうした検討において重要なのは、実験結果の評価法である。
また、多くの異種分野を統括する治癒の研究施設の設立も真に必要とされており、本書で詳細にふれられている個々のモデルの要素を、そのような施設で研究できることがのぞましい。
私は、学問的な環境で種々の次元における治癒という現象を研究する、治癒研究におけるメイヨー・クリニック研究所のような施設がつくられることを夢みてきた。
そのような施設があれば、あらゆる研究分野からの人材をそろえることが可能になる。
すなわち、医師、看護婦、専任の医学研究者、さらに銭灸師、ヒーラー、生薬療法家、透視診断家、エンジニア、化学者、物理学者などによる学際的研究チームがあれば、人間にともなう微細エネルギーを測定するための実験計画を考案することができ、微細エネルギーの特性が種々の異なる治療によってどのように変化するのかを観察することも可能になる。
施設内には、脳波マッピングやMRIからはじまって、電気銭をもちいた非主流医学の診断装置にいたるまで、ありとあらゆる診断技術がそろうことになるだろう。
治癒の基本的性質を理解し、本書あるいはべつの文献で紹介された治療法の潜在的な治療効果をさぐるために、さまざまな種類のヒーリング・リソース(資源)がもちこまれることになるだろう。
その施設は、あらゆる経歴および専門分野をもっ医師やヒーラーが、実験計画に意見を提案するためだけでなく、たがいに多様な治癒技術を交換するためにやってくるだろう。
また、ヒーラー自身が学び、癒されるためにやってくる場所ともなろう。
かぎられた研究でも多くの治療法の効果が示されてきたように、さらなる発展を達成するために多くの関連病院における臨床治験が開始されるであろう。
それぞれの施設問の連絡を容易にするコンピュータ・ネットワークによって、すべての調査結果がまとめられ、系統立てられるであろう。
関連病院では進行中の研究にかんする調査ファイルへのアクセスが、コンピュータをリンクアップすることで可能になる。
そのようなセンターでは独自に研究雑誌を出版することもでき、やがては引用可能な参考文献として認知され、治癒研究にかんする「キャッチ勾」をなくすことも夢ではない。
興味ぶかいことに、この本でのべられている治療法には、従来の内科的・外科的治療法にくらべて費用がかからず、毒性やリスクも相当低いものが多い。もし医師たちが日々の診療の基本のなかに代替療法をくみいれはじめるようになれば、膨張をつづける医療費を削減できる可能性はおおきい。
私はここで、あらゆる薬物治療、外科的治療の放棄を提唱しているのではない。
そうではなく、代替医療を補完的にもちいることで現在の医療技術の効果がはるかに増大する可能性があるということを主張したいのだ。
薬物治療や外科的治療以外の選択肢として、波動医学が補完的に、しかも反復的・連続的に利用できるようになったとき、医療はようやく変わりはじめることになるだろう。
将来、ホメオパシー治療薬やフラワー・エッセンスがさまざまな慢性疾患に有効であるとみとめられる時期がくるだろうが、それでも大動脈癒破裂の患者の治療には優秀な血管外科医が必要であることに変わりはないのである。
ここでポイントとなるのは、代替療法は、通常の医学では治療が不可能な疾患にも治療がおこなえるということだけではない。
われわれが代替医療の研究を開始すべき理由は、研究を通じて、われわれ自身が進化しつつある霊的な存在であることを学べるからである。
批評精神を失わずに偏見のない態度で本書を評価していただき、本書をつうじて、読者自身が潜在的に無限の治癒と生長の能力をもっ多次元的存在であることをふかく理解していただければ幸いである。
リチャード・ガーバー(医学博士)
一九八七年七月
バイブレーショナル・メディスン抜粋1
はじめに
ガブリエル・クーセンス(医学博士) 天文学者アーサー・エディントン卿はこういっている。「まことに、科学を信じる人間が扉をくぐりぬけるの は、ラクダが針の穴をとおるよりもずっとむずかしい。それが納屋の扉であろうが救会の扉であろうが、科学がかかえている問題がすべて解決するまで扉のまえで待っているよりも、自分が「凡夫」であることを素直に みとめて扉をくぐるほうが賢明かもしれない」
リチャード・ガーバー博士は本書「バイブレーショナル・メディスン」によって、われわれが扉を通過して波動医学を理解し、受けいれることをサポートしてくれたばかりか、その扉の先にあるものの検証もしてくれている。本書は波動医学にかんする百科事典的、包括的な解説書である。著者は人間という生命体にかんして、 物質レベルからエーテルレベルにわたる明快なモデルをつくってくれた。そうしてさらに、霊的レベルにおける微細エネルギーの調和という側面にまでふれている。 われわれはこの本を読むことで、人間という生命体が、相互に作用する一連の多次元的なエネルギー場であることを理解できるようになるだろう。このモデルをさらに科学的に発展させ、最近のめざましい臨床的・基礎的研究成果で補強すれば、読者は、いまホリスティック医学の分野で発展している身体性・精神性・霊性を つなぐ言語をいっそうふかく理解することができる。ただし読者は、このモデルが機能的期面を理解するための概念の道具であり、かならずしも真実そのものではないことを忘れてはならない。「エネルギー」もまた概念のひとつである。医学に関心をもっている人たちも、ニュートン的機械論のアプローチもまた二〇〇年前の思考様式にもとづくひとつのモデルにすぎないことを想起さえすれば、アインシュタイン的量子モデルへの移行は抵抗なく進んでいくであろう。しかし、現代医学の主流派がいまだにニュートン的養被論(半世紀まえにそ の不正確さが立証されているが真実であるかのようにふるまっているのは不幸なことである。 ガーバー博士は「肉体/エーテル体接触面」の作業モデルを生みだすという、きわめて卓越した業績をなし とげている。博士はAMI(本山式経絡臓器機能測定器)で検出された経穴の相互関係を巧みに解明し、また、完成度の高いキルリアン写真による画像診断法を駆使して、電気的性質をもつ体内の物質および細胞と情報交換をおこなっているホログラフィックな磁気格子構造がエーテル体から形成さ れていくしくみをしらべている。経格系は、エーテルと物質をつなぐ重要な接続システムなのである。
あらゆる疾患は、物質的身体レベルに発現する以前にエーテルレベルで検出することができる。そうである以上、物質的身体とエーテル体との接点が診断学的にみて重要になるが、本書ではそのことが的確に指摘され ている。疾患をエーテルレベルで発見することができれば、その予防も不可能ではなくなる。ガーバー博士は肉体/エーテル体接触面診断のための科学的手法を詳細に説明することによって、たいがいの懷疑論者も無視 できないほどの説得力をもって、肉体/エーテル体接触面という概念の説明に成功しているのである。
本書に概説されているティラー\アインシュタイン・モデルは、エーテルエネルギ ーを負の時空間に属する超光速の「磁電(ME)エネルギー」であるとのべているが、このモデルは肉体/エーテル体接触面および、物質とエネルギーの一般的な関係にたいして斬新な洞察をくわえるものである。その洞察によって、それらのエーテル・磁電エネルギーの測定が困難である理由も理解できる。すなわち、標準的な正の電磁気的な時空間にたいする選定方法ではそれらは検出できないのである。最近の研究で、生物学的シス テムにおける酵素反応、水の結晶化効果、水分子の水素・酸素結合角の変化を観察することによって、エーテ ル/磁電エネルギーが測定できるようになったことを本書で学ぶのも有意義なことである。
本書は読者の意識を覚醒させ、われわれ人間という生命体がひとつながりの多次元的な微細エネルギー系であり、それらのエネルギー系がバランスをくずせば身体的・感情的・精神的・霊的レベルで病理学的変化があらわれるという結論に、無理なく読者をみちびいてくれる。本書は、微細エネルギーの鋳型(テンプレート) にたいして適正な周波数の波動的治療をおこなうことでバランス障害が回復するプロセスを、詳細に説明して いる。これは、波動医学の基礎事項のなかでもエッセンスとなる部分である。さらにガーバー博士は、人間と いう生命体はバランスを失って脆弱化しているとき、正常状態とは異なる不調和な周波数で振動していること を的確に指摘している。この異常な周波数は、細胞のエネルギーバランスの障害が反映したものである。もし ある人がエネルギーモードを正常な周波数にもどすことができず、バランス回復が不可能なばあい、一般的な、 あるいは個別に調整された治療的な周波数による介人が必要となる。まさにその作業が、波動医学のはたす役割なのである。 本書では、さまざまな波動医学的アプローチの概観がみごとに示されている。とくに興味ぶかいのは、ガー バー博士がそれらの多様な治療法を包活的なモデルに位置づけていく、その方法である。本書は、波動医学にかんする有用な既論であり、波動医学の習得に興味をもつ一般読者および医療専門家のいずれにも理解可能な内容である。
われわれが物質主義的、ニュートン的、機械論的な世界視からアインシュタイン的、量子力学的なホーリズ ム(全体論)へとパラダイムシフトを進めるにつれて、医学も医療従事者もおおいに変化していくだろう。 そして、じつは何千年もまえから人頼とともにあるホリスティックな世界観を、あらためて採用することになる だろう。
治療家がたんに宇宙との包括的関係をかんがえるホリスティックな健康観の持ちぬしであるだけでなく、 治療家自身が調和したホリスティックな生きかたのモデルになるべきであるのはとうぜんのことである。インドのアーユルヴェーダ医師によってそれが積極的に実践されているのを、私はこの目でみてきたし、あるいは夕オイスト(道家)の治療家、アメリカ先住民の治療家、さらにカラコルム山系・フンザの治察家たちがおなじことを口にしているのをこの耳できいてきた。おなじような立場は、西洋文明においても二〇〇〇年以上まえ にエッセネ派の人々によって実践されており、そのなかからは洗礼者ヨハネ、聖職者ヨハネ、そしてもちろんイエスといったヒーラーが生まれている。この伝統的な癒しのわざは、一四〇〇年代ごろ、アフリカ人コンスタンチンの手によって再興された。かれはモンテ・カッシノ修道院でエッセネ派の教義を学び、イタリアのサ レルノ医学校で救えていた。ガーバー博士が理想化してその出現を待ち望んでいるようなヒーラーはこれまでにも絶えることなく出現しており、そのような調和的かつホリスティックな癒しを実践する先進的な治察家は現在でも存在している。政治的権力を握るいかなる医療体制も、そうした人たちの愛と健康への献身的な歩みを止めることはできない。本書はそんなヒーラーをサポートするためのものである。
これらのヒーラーたちに共通する癒しのかたちは、かれら自身の調和と愛にもとづいており、これを理解するのは重要なことである。「ホーリズム」は、現実ばなれした最新の診断法や突出して進歩した癒しの方法によって成り立つものではなく、癒しにかんするあらゆる側面を含む総合的な観点から成り立つものである。それは患者あつめのための断片的な代替擦法の寄せあつめではなく、シンプルで全人的な、多次元的なエネルギー 療法そのもののことなのだ。
本書は、あらたに提唱されている医学的見解の一部を紹介したものであるが、これについてガーバー博士は以下のように記している。「「霊」の存在を否定または無視する現代医学の体系は、いつまでたっても完成することはない。なぜなら、人間存在のもっとも基本的な特質である霊的次元をおきわすれたままだからだ」。拙著『霊的栄養学と虹の日常食』でも詳細にふれているが、ガーバー博士はつぎのようにも指摘している。 すなわち、「われわれの肉体を形成している組織は酸素、ブドウ糖、栄養素だけで推持されているわけではなく、高次の波動エネルギーの供給を受けて成さしている。その供給があってはじめて、生命の諸特性と創造性 の発現をともなう物質的構造が維持されるのである」。健康は微細エネルギー系全体のバランスによって保たれており、それはわれわれのからだにそなわる力と、母なる自然との双方からのエネルギーを受けて維持されるものである。したがって、多くのヒーラーがかんじていることだが、われわれがさまざまなレベルのエネルギーを吸収して調和がとれている状況下では、たとえ本書の第11章で肯定的に言及されているよう なビタミン剤の大量使用でも、システム会体をアンバランスな状態にいたらしめる刺激物として作用する可能性がある。
波動医学は、将来的には米国、ひいては世界中で健康におおきく寄与する医学に発展していくことだろう。 しかし、「健康」は究極的には、波動医学や(将来あらわれるであろう)「ドクター/ヒーラー/聖職者」に依存するものではなく、人々が調和的になり、人生の多様な側面を愛することを学んでいくことが重要である。 自分自身、創造的活動、家族、社会、そして地球の生態系といったすべてを含む生の全体性を生きるとき、永続的なバランスの回復、治療、そしてわれわれ自身の再生がおこってくるだろう。
ガーバー博士がユーモアをこめて指摘しているように、本書を読みおえるとき、読者は自らの意識の「メン テナンス・マニュアル」を身につけているかもしれない。本書の最大の特徴は、ヒーラーや知識層が何千年もまえから知っていた健康にかかわる古典的な知識を強力に支持する、あらたな科学的パラダイム を提供していることである。本書によってもたらされる科学的方法を理解することによって、原子レベルまで細分化されたニュートン的健康観から、分割なしの全体論を基調にした量子力学的アインシュタイン的健康観にむかって、無理なく移行することが可能になる。波動医学に関心をもち、その駅をくぐるまえに奥にあるものを確かめたいとおもうすべての人にとって、本喜は必読の書といえるであろう。
人類が存在の全レベルにおいて、健康・愛・調和の知識をえることを願いつつ。
ガブリエル・クーセンス(医学博土) 一九八七年一〇月
(クーセンス博士はホリスティック医であり、「霊的栄養素と虹の日常業 Spiritual Nutrition and Rainbow Dietの奢者である)